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うみの イルカ

2010年09月21日

陰陽師

中国発祥の陰陽道と称する特殊な方術の占法をもってすべての吉凶災福を察知し,これに処するための呪術作法を行う宗教家で,方士,方術士,方伎士などとも呼ばれる。

官僚としては684年(天武13)2月,新都選定の卜占に派遣された記事が初見で,律令制下では陰陽寮に6人の定員がおかれ占筮相地等をなし,地方では大宰府はじめ東海・東山・山陰・西海各道や陸奥鎮守府に配置された。

平安時代,民間では播磨国に海賊を呪縛した智徳なる名人をはじめ法師陰陽師の活躍がみられたし,京都一条堀川の戻橋辺では陰陽師団が斯道の達人安倍晴明にゆかりの伝承を説き,みずからを権威づけるところがあった。

また宮廷陰陽師の行った祭りには泰山府君祭,鬼気祭,属星祭,土公祭,天曹(てんちゆう)地府祭,四角四境祭,雷公祭,三万六千神祭など50に近い種類があり,七瀬祓,河臨祓など神道の祓に近い作法もあった。

とくに泰山府君は冥府の王で人間の生命を左右すると信じられ,病気平癒,長寿延命を祈って盛んにまつられ,その祭文を都状と呼ぶ。

邪気を鎮め祓うのに反閇(へんばい),呪咀,身固(みがため)等の作法もあり,後世修験者にもとりいれられた。

鎌倉幕府は安倍氏を多数陰陽師に招き,武家要人の護身や建築造作の安全祈願に当たらせた。

南北朝の争乱以後,陰陽道界における賀茂・安倍両家の支配体制は崩れ,民間陰陽師の活動が激化した。

江州甲賀では竈祓(かまばらい)を業とする声聞(しようもん)師の陰陽師集団が活躍し,大和では山伏形の陰陽師が読んだ牛頭天王(ごずてんのう)の祭文が残っている。

江戸初期,土御門(安倍)家が復興されたとき,摂津,河内,若狭方面の同家従者たちは歴代組を結成し,その中に総目付役,横目付役,能頭,組頭,小頭等の序列をつくり,朝廷の陰陽道祭である天曹地府祭に具官として奉仕した。

1683年(天和3)土御門泰福のとき,同家には全国の陰陽師を統轄して免許を与える権限が朝廷より与えられ,造暦のことも同家の支配下に入った。


Posted by うみの イルカ at 04:20