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うみの イルカ

2010年09月22日

バドミントン

ラケットを使って,シャトルコック(シャトルともいう)と呼ばれる羽根をネットで二分したコートで打ち合うスポーツ。

シングルスまたはダブルスでプレーする。

シャトルは最強打のスマッシュで打ち出された場合時速310kmに達し,力を失うと時速ゼロとなる。

この急激なシャトルのスピードの変化にいかに即応するかがバドミントンのおもしろさであり,むずかしさである。

1873年ごろ,イギリスのグロスターシャーのボーフォート公爵の所領バドミントンで確立したといわれ,93年にバドミントン協会が結成された。

16世紀以前からあった羽根つき battledoreand shuttlecock の発展したもので,軍人によってインドに伝えられ,ボンベイに近いプネー地方で1870年代中ごろ最初の規則がつくられたため,プネーを起源とする説もある。

草創期は大きな館や大広間のある裕福な貴族や上流階級の人々に愛好され,フェアプレー精神が尊重されるスポーツとなっている。
1920年代にはイギリス全域に普及し,34年には国際バドミントン連盟 InternationalBadminton Federation(IBF)が結成された。

その初代会長 G. トマスの寄贈によるトマス杯を争う男子世界選手権大会が48年から,イギリスの女流選手 H. S. ユーバーの寄贈によるユーバー杯を争う女子世界選手権大会が56年から,いずれも3年ごとの国別団体戦として開催されている。

個人タイトル戦は1899年以来の全英選手権が有名であるが,1977年から世界選手権が3年に1回,79年からはマスターズの大会が毎年の開催となり,現在では,トマス杯,ユーバー杯と世界選手権が隔年ごとに開催されている。

 日本では1787年(天明7)の《紅毛雑話》に〈西洋館にて閑暇なる時は,遣羽子をつきて遊ぶとなり〉とあり,ウーラング(羽子)とラケット(羽子板)として紹介されている図がバドミントンに類似するが,本格的には1902年に東京や神戸に在住する外国人から伝えられたとされる。

37年に横浜 YMCA に国内第1号のクラブが誕生し,東京や神戸の YMCAに普及していった。

42年には慶応義塾大学にクラブが結成され,第2次大戦後各大学に普及した。

46年日本バドミントン協会が設立され,翌年から天皇,皇后杯を争う全日本選手権が開催された。

66年の第4回ユーバー杯大会で日本女子が初出場,初優勝の快挙を演じ,以後学生,社会人の間で競技人口が増大し,現在では社会体育の一環として公営体育館や学校施設などで手軽な屋内スポーツとして人気種目となっている。

 現在バドミントンの盛んな国としては,ヨーロッパではイギリス,デンマーク,スウェーデン,西ドイツ,スイスなど,アジアでは中国,インドネシア,マレーシア,韓国,そして日本などがある。

とくに中国は毛沢東主席時代,バレーボールや卓球とともに強化種目として全土から逸材を集めた。

一時,親中国諸国が結束して世界バドミントン連盟を設立したこともあったが,1981年 IBF に加盟し,82年の第12回トマス杯大会に初出場,初優勝した。

日本は女子が強く,堅守反撃を得意とし,1966,69,72年と3連覇,さらに78,81年にも2連覇を達成した。

アメリカ大陸ではアメリカが1956年の第1回大会から第3回大会まで連続ユーバー杯を保持したが,その後衰退し,代わってカナダが女子を中心に力をつけつつある。

 1980年に IBF によってアマチュアでも賞金をもらってかまわない,というライセンスプレーヤー制度が認められたため,日本をはじめアジア圏は従来のアマチュア中心だが,ヨーロッパの一流選手はほぼ全員といえるくらいライセンスプレーヤーとなった。

また,92年のバルセロナ大会よりオリンピック正式種目となり,男女単複,混合複の5種目が実施され,各国の強化がより盛んになった。


Posted by うみの イルカ at 11:30